花魁豆知識No.4☆

花魁豆知識No.4☆

どうも~~~~!!!

メイクスタッフ兼店長させて頂いております大原が

今回もブログ書かせて頂きます~!!!

 

そしていつもブログ閲覧ありがとうございます(^^♪

今回私のターンが早い気がしますが!!(笑)

今週も花魁豆知識No.4!!行ってみましょーーー(^^)/

 

前回は花魁の街!!天下の「吉原」の二面性について

読まれた興味深い俳句をご紹介致しました。

 

今回は江戸の華型の街「吉原って一体どんなところ?」

というのに焦点を当ててひも解いていきたいと思います。

 

そもそもさっきから「吉原って何?」となってらっしゃる方!!!

お手数ですが前回の記事、「花魁通信No.3/No.2」をご参照下さいませ!!

ここでは割愛させていただきますね♬

 

吉原が公共(国が認めた)の遊郭として誕生したのは

元和四年(1618年)の頃でした。

場所は現在の東京中央区日本橋人形町のあたりだったと言われております。

 

ところが幕府は遊郭が江戸の中心部にあるのは不適当とし、

およそ40年後の明暦二年(1656年)に移転を命じ、遊郭は浅草の

浅草寺の裏手側に移転しました。

翌年明暦三年(1657年)から営業を開始しました。

現在でいう東京都台東区千束四丁目の一帯でした。

 

売春防止法の執行にともなって昭和33年(1958年)に終了するまで

約300年に渡ってこの千束の地で営業を続けました。

 

以外にもつい最近。。。。ではないですが

そう遠くない過去に「吉原」は存在したのです。

 

「吉原」は300年以上の歴史があるだけに

制度や仕組みに変革がありました。

 

とくに宝暦期(1751~1764年)に大きな変革があり

最高位の遊女「太夫(たゆう)」の称号が無くなりました。

 

「太夫」と聞くと一昔前にブレイクされた

小梅太夫さんを思い出しますね。。。(笑)

 

そんなことはさておき、

「太夫」の称号がなくなった

それ以降の最高遊女への敬称は「花魁(おいらん)」となりました。

 

現在、時代劇や時代小説にもっぱら描かれているのは

宝暦期以降、明治維新までの約百年間の吉原です。

 

これが

ザックリ大まかな「吉原」の誕生と歴史でございます。

 

次回の花魁通信No.5はその吉原の中(敷地の構造)について

詳しくひも解いていこうと思います。

 

ではではまた次回の花魁通信No.5もとうご期待下さいませ!!

(自分でハードルあげるという。。。(笑))

 

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下さいませ( *´艸`)

 

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是非この機会にご利用下さいませ!!!

皆様のご来店、心よりお待ちしております(^^♪

 

そして実は毎日

Instagramなるものを

頑張って更新しておりまして。。。。

よろしければこちらも

体験のご参考に見ていただけばと

思います( *´艸`)

 

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それでは!!!大原がお送り致しました!!!!