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あなたは何人知ってる?花魁で有名な人物5選

今回は美しさと強さを兼ね備えた、歴史上に名を残す有名な花魁をご紹介します。

興味のある方はこの記事を参考に花魁の知識を増やしてくださいね!

歴史上の有名な花魁5選!知ってほしい花魁の真実

それでは有名な花魁を5人ご紹介します。

1. 高尾太夫

高尾太夫

出典:シットピ

2代目高尾太夫は、和歌を好んでおり書も堪能でした。

俳諧にも名前があり才女の花魁といえます。
そんな高尾太夫は万治年間に仙台藩主の伊達綱宗(だてつなむね)に見染められ、身請けされました。

その際に、自分の体重と同じ額、そして装身具も含んで八貫分(約30㎏)の衣装という大金で身請けされ、総額5億にもなるといわれています。

しかし、高尾太夫は鳥取藩士の島田重三郎が好きだったため、身請けのあと半年間経っても伊達綱宗に体を許さなかったプライドの高い女性です。

高尾太夫は殿様に従わなかったため、最後は裸で逆さづりにして切り殺したとされています。

2. 薄雲太夫

薄雲太夫

出典:シットピ

元禄年間の太夫として有名な遊女とされています。

薄雲太夫は1匹の猫を可愛がっており、花魁道中にも行動をともにするほど常に一緒にいました。

しかし周りからは猫に取りつかれたとささやかれるようになり、見かねた楼主が猫の首を刀ではねたのです。

切り離された首は厠(今でいうトイレ)の中へ飛んでいって、厠の中に潜んでいた蛇の頭に噛みついたとされています。

猫は蛇から薄雲太夫を守ろうとして厠へついていこうとしたのです。

猫が殺されてしまい、薄雲太夫は深く悲しみました。

薄雲太夫は猫を不憫に思い、取り寄せた伽羅の銘木でこの猫の姿を刻んだものを作ったとされています。

それが招き猫の発祥になったと言われています。

その後、薄雲は源六という人物に350両という大金で身請けをされたとされています。

3. 吉野太夫

吉野太夫

出典:シットピ

大名跡である吉野太夫の中で最も有名なのは2代目吉野太夫です。

14歳で太夫となり、その若さでありながら美貌、楽器、書道、茶道、文学など才能に優れ、天才的な花魁でした。

当時、吉野太夫の身請けのために関白近衛信尋や豪商の灰屋紹益がを競いました。

結果、灰屋紹益が勝ったことにより、吉野太夫は26歳の時に吉原を出て豪商の灰屋紹益と結婚したとされています。

その後、質素な暮らしから38歳で亡くなったとされています。

4. 榊原高尾

榊原高尾

出典:シットピ

花魁の中で唯一大名の側室になった女性です。

姫路藩の第3代藩主榊原政岑が、正室が亡くなって気落ちした際に気晴らしに出かけた吉原で一目ぼれしたのが高尾太夫とされています。

政岑は越後高田で自ら倹約を率先して行い、また民のことを思った施政を行ったことから名君とされています。

高尾太夫はそんな政岑を支えたことで、榊原太夫と呼ばれ、貞淑で賢いと評価されています。

政岑は36歳で亡くなりますが、太夫は江戸の下屋敷で暮らしながら68歳の生涯を終えたとされています。

5. 紺屋高尾

紺屋高尾

出典:勢蔵の世界

5代目高尾太夫は、古典落語「紺屋高尾」のヒロインとして描かれています。

真面目な性格の染物職人である久蔵が吉原見物で、稀代の美女である高尾太夫に一目惚れするというあらすじです。

花魁は庶民の手には届かない高嶺の花。

そんな中、さまざまな問題や試練を乗り越えながらもめでたく結婚し、染物屋を夫婦そろって繁栄させるという話です。

しかし落語なのでフィクションの部分も多いといわれています。

そんな花魁である5代目高尾太夫は、3人の子宝に恵まれて84歳で生涯を終えたとされています。

有名な花魁の格好良い生きざま

有名な5人の花魁の覚悟ある生きざまはいかがでしたか。

今回は5人の花魁をご紹介しましたが、それぞれの生きざまが違い、幸せも人それぞれということが分かりますよね。

花魁の信じた幸せと筋の通った想いはあなたの目に格好良く映ったのではないでしょうか。

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